東浦町議会議員 こまつばら英治の時論公論

こまつばら英治の時論公論

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東浦五ケ村虫供養行事

令和元年9月23日、東浦町藤江の安徳寺にて、田畑の農作業で犠牲になった虫に供養する「東浦五ケ村虫供養行事」が行われ、お招きいただきました。

 

知多半島では、東浦五ケ村(東浦町)、阿久比谷(阿久比町)、大野谷(知多市・常滑市)が「知多の虫供養行事」として昭和58年に愛知県から無形民俗文化財の指定を受けています。

阿久比谷は13ケ村、大野谷は常滑市の北端にある港町大野を河口とする矢田川流域の知多市・常滑市にまたがる13ケ村で実施されています。東浦五ケ村は、森岡・緒川・石浜・生路・藤江の5地区(旧五ケ村)の各大字ごとに毎年持ち回りの輪番で行っています。毎年秋の彼岸の日に行われます。本年は、藤江地区が当番となりました。

 

 

 

虫供養行事は、本堂に本尊の來迎阿弥陀如来絵像をはじめとする諸仏の掛け軸を掛け、本尊の正面屋外に大塔婆を建てて行われます。大塔婆と本尊の來迎阿弥陀徐頼絵像は白布で結ばれています。

掛け軸は、本尊を含めて六幅あり、本尊以外は、掛け軸の世話村が決まってます。中央を本尊にして、右から村木・緒川・石浜・生路・藤江と並べられます。

鉦を鳴らし、巨大な数珠を車座になって100回まわしながら念仏を唱える「百万遍念仏」を行います。この行事は、400年以上も前から行っていたそうです。

 

 

東浦五ケ村虫供養の由来は諸説あります。

 

戦国時代の知多は緒川城主の水野家が支配しており、関ヶ原の戦いなどで多くの兵を出し、戦死をしていることから、死んだ兵の怨霊が虫となって悪さをしていると考え、死んだ兵を弔うために供養している。

 

本尊の來迎阿弥陀如来絵像は、緒川城主の水野忠守が天正8年(1580年)の真宗本山の石山本願寺攻めのときに持ち帰ったものではないか。

 

本尊の來迎阿弥陀如来絵像は、緒川城主の水野忠守が元和2年(1616年)に大阪城落城のときに勝利品として持ち帰ったものではないか。

 

阿弥陀本尊の裏書に慶長7年(1602年)に「大破表具再興 為五箇邑」とあり、このときに五ケ村で修復していることになる。

 

元和2年(1616年)から東浦五ケ村虫供養行事が行われたという説が有力となっています。

 

 

地域に根ざした伝統行事の継承は大切なことではありますが、大変難しいものでもあると思います。また、藤江の区長さんの話によりますと、台風の影響が心配であったこと、世話人10人で2日前から準備をしたが大変であったことなど、お話しされてみえましたが、継承するためには、若い世代や子どもたちに、虫供養行事の意義を教えることが大切だと思いました。

準備に携われた皆さまには、感謝を申し上げたいと存じます。

 

JUGEMテーマ:歴史

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